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市井の名医8「満岡孝雄」渡邊 昌

医と食 Vol.8 No.6(2016年12月1日)

邊昌先生が主宰する雑誌「医と食」に、私のことがとりあげられました。

医と食

渡邊昌先生は、病理学、疫学、栄養学をはじめ、医学や食に関する日本を代表する学者です。最近では日本の医療に関する提言の書「食で医療費は10兆円減らせる」も出版されています。そのような先生が「市井の名医」として小生を選んで頂いたことは、大変な名誉であります。

渡邊昌略歴

渡邊 昌(わたなべ しょう)

昭和16年、平壌生まれ。 医学博士。慶応義塾大学医学部卒。同大学院病理学専攻、米国国立癌研究所、国立がんセンター病理部を経て、同疫学部長。その後、東京農業大学教授、国立健康・栄養研究所理事長を歴任し、現在は、公益社団法人生命科学振興会理事長として専門誌『ライフサイエンス』『医と食』 を主宰。一般社団法人統合医療学院学院長、NPO法人日本綜合医学会会長も務める。これまでに厚生科学審議会、内閣府食育推進評価専門委員会座長など政府の各種審議会委員を歴任。受賞暦も多数。著書に『食事でがんは防げる』(光文社)、『糖尿病は薬なしで治せる』(角川書店)、『栄養学原論』(南江堂)、『新・綜合医療学』(メディカルトリビューン)、『「玄米」のエビデンス』『科学の先ー現代正気論』(以上、キラジェンヌ)などがある。


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医と食1市井の名医というと「赤ひげ」のような開業医をイメージする人が多い。医と食では「食」の重要性を体感し、普及に勤めている医者、学究的意識を保ち臨床の場から医学に貢献し、地域で全人的な治療をして健康長寿を支援している医者、そしてなにより地域住民の信頼を得ている医者を市井の名医として選んでいる。今回は日本のへき地のように思われる十勝平野の帯広に不整脈センターを立ち上げ、先輩から継いだ小児科医院をモダンなクリニックに棋様替えし、通東屈指の抗加齢医学のアンチ・エイジング・ドックを併設して地域医療に貢献している満岡孝雄医師を訪問した。

北海道も東のはずれの帯広に小さなクリニックがある。ここの院長は小さいことは、むしろ良いこと、心地よいことと、思っていて、距離が近い分、細かなケアができると考えている。ここでの使命は、患者さんの病気と共に戦って、心身ともに充実した生活が取り戻せるように、お手伝いすることだと思っている。

この院長は心臓病を専門とし、不整脈に悩んでいる方には、世界最高の医療を提供できる専門医だ。日本には各種医学会の専門医制度が80ほどある。一般の人は専門医の方が医者として上のように思っている節があるが、どららかといえば専門バカといった方がよいような医師も多い。下医は病気を治し、中医は病人を治し、上医は国を治す、といわれるが、専門医は病気を治すことに熱中する。本当は十分な技量を身につけた専門医は現場にでて病人を治す医療に、さらには経験を積んで地域医療全体を支えるような医師になるのが望ましい。人生には集中的に学べる時期があり、それは30代から40代にかけてであろう。この時期に青雲の志をもって広く世界をみてくるとそののちの人生に益するところは大きい。

医師でも同じである。ちかごろ内向き志向になったと聞くが、徒手空拳の満岡医師の生き方は若い医師に勇気をあたえてくれるであろう。

満岡医師は戦後すぐの1948年に長崎県諫早市に生まれた。高校まで地元ですごし、大学は北海道大学医学部へ、卒業後長崎に帰郷、長崎大学病院で研修後、第三内科に入局して、循環器(心臓病)内科を専攻した。35歳の時に英国ロンドン大学ウエストミンスター病院の循環器内科へ留学、人工心臓、ペースメーカー治療に関する世界的な第一人者サットン博士のもとで、不整脈の診療・研究に従事した。さらに米国フイラデルフイアにあるトーマス・ジェファーソン医科大学ランケノー病院の循環器内科へ留学を延長、不整脈の世界的権威・ドレフュース教授のもとで心臓電気生理および不整脈の研究を行った。このように一流のところで基礎と臨床を学べた経験は大きい。帰国後長崎大学医学部で併任講師になったが、学位を得たのを機に北海道の十勝の町立病院に赴任した。過疎地における、小児から高齢者まで、救急から在宅医療まで、統合させた地域医療を実践しようと思ったという。

ターコイズ・ブルーの海

医と食2私は日高誠一著の「ターコイズ・ブルーの海」を読んで感動した。これは海外留学をした青年医師のエッセイ集であるが、日高誠一というのは満岡医師のペンネームであると知り驚いた。もう、プロの筆力である。医師になって五年目の1978年から84年までの体験が元になっている。

「九一年の夏、僕は十八年ほど勤めた大学を辞め、北海道の十勝にあるT町立病院長として赴任した。それまでは、学術論文や医学に関する総説以外の文章を書くことは、ほとんどなかった。しかし、町立病院で仕事をするようになって、患者や一般住民に対し、医療や経営などの方針をわかりやすく文章で伝えることが、いかに大切であるかを実感するようになったった。」

「その頃、帯広にはH新聞社が主催する、「藤原ていエッセイ教室」というものがあった。藤原てい先生の夫君は作家の故新田次郎氏であり、ご子息はエッセイストの藤原正彦氏である。九二年の春に八期生として、そのエッセイ教室を受講し始めた。出来がよい作品は、講師の評が付けられ、H新聞の夕刊に毎月掲載された。僕の作品も何度か掲載されたことがあった。」その縁で2000年2月に諌早の岡耕秋氏が「詩とエッセイ千年樹」を創刊した時以来15年間同誌にエッセイを書き続けてきた。このエッセイを元に多くの若者が海外に雄飛することを願い、自分の体験を『ターコイズブルーの海』にまとめた、という。

開業へ

1991年北海道十勝・大樹町立病院長に赴任し、危機的状況にあった病院の再建に取り組んだ。6年数か月病院長として、多くの患者さんから「病院はきれいになって良くなった」と認められた。毎年医業収益ものび、病院運営も軌道にのったので、50歳を前に、医師として長年夢みてきた開業にむけ、気力と体力が残っている今が最後のチャンスと、一歩を踏み出すことを決意。1997年12月大樹町立国民健康保険病院を退職。1999年帯広において開業した。経歴を見た国立病院院長から誘われ、木曜日には国立帯広病院に不整脈専門外来を開設した。欧米の心臓病学会フェローのタイトルを有する数少ない不整脈・心臓病専門医が道東の地で診療を始めた効果は大きく、2002年には拡張型心筋症の症例に植込み型除細動器を初めて移植できた。さらに2004年4月には拡張型心筋症による心不全患者に、両室ペースメーカー植込を行い、2007年12月には心臓ペースメーカー植込みは1500症例となっ た。心臓電気生理学的検査、カテーテル・アプレーションなどのほかに、ICD植込、心不全に対する両室ペーシングなどの最先端の医療が提供できるようになってきた。増改築により循環器内科の病床は50床に増え、循環器内科医も4名となった。

こうして2011年には十勝に不整脈治療センターを設立することができたのである。2016年に外来担当を退いて、かねてから考えていたアンチエイジング医学に力を注ぐことにした。

開業医をして地元の生活を知る

医と食31998年1月帯広の大空団地にある、佐々木内科小児科医院の院長として開業の準備にはいる。理事長の佐々本武司氏は北大の先輩で、翌年佐々木内科小児科医院を後継し、満岡内科・循環器クリニックを開業。医薬分業、院内禁煙、BGMをながす、などを実施。

開業翌年の1999年9月老人の窓口負担が増額され1割負担となった。場当たり的な医療保険改悪が次々となされ、受診抑制、重症化後の来院、重症患者の長期投薬希望、などを感じるようになった。開業以来、火曜日の夜間診療を続けてきたが、夜の受診者が多くなり、不況で労働条件が厳しくなり、昼間の通院が困難なためと憶測する。

ここ数年の変化を追ってみよう。2004年10月自治体の助成制度が縮小され、65歳の高齢者は1割から3割の窓口負担に、障害者・母子家庭・乳幼児の一部も1割負担となった。

開業して約5年半が経過。医療の状況は年を追う毎に厳しくなる。診療報酬改定が行われ、初診料、管理料、情報提供料などの引き下げで、診療所は平均約8パーセントの収入減。医療費抑制だけを意図する展望のない医療制度改革は、医療だけではなく、人の心までも窮屈にしていくように思える。理にかなった唯―の改定は、禁煙パッチの保険適用であり、7月に禁煙外来を開始。半年で20名ほどの患者さんが禁煙を試み、成功率は80パーセント。

2007年開業して約7年7カ月が経過。北海道の地方自治体病院は赤字という理由で、縮小し診療所となるよう国から圧力を受ける。春からは肥満者を対象に特定検診・指導が始まり、肥満者は国から痩せるように指導を受けることになった。一方で喫煙の問題には、一昨年禁煙外来を保険適用にしただけで、それ以上の積極的な取り組みをなぜか国はみせない。

開業して約8年7カ月が経過。北海道の過疎地の医療状況はますます深刻化しているように思われる。道東の大きな市でも循環器内科の専門医療を受けられる病院が一ヶ所となり、市民の要望に応えられない状況がすでに始まっている。

アンチエイジングドック

医と食42005年より究極の予防医学に関心を持ち、北海道初の日本抗加齢医学会認定医療施設に指定された。アンチエイジング・ドッグおよび医療は自費診療なので区分けがやつかいだが、2008年11月アンチ・エイジング(抗加齢)ドックをクリニックに開設した。「歳をとらない歳のとり方」を目標に、高齢になっても元気で自立した生活ができるように、アンチエイジング医学の普及が目標だ。

「この10年ほど、私は病気の予防について関心を持ち、究極の予防医学といわれるアンチ・エイジング医学の勉強をしています。アンチ・エイジング医療の実践には、今までの各科縦割りの診療から、一人のドクターが、思者さんを全人的に診る医療へのシフトが必要となります。このためには各科の知識を横断的に有することが求められます。特に、人生の曲がり角にある男性および女性の更年期におこる、症状を診られることは非常に大切で、このため日本メンズヘルス学会および女性の更年期と加齢のヘルスケア学会に入り勉強しています。また、更年期障害とうつ病はオーバーラップする部分もあるため、日本うつ病学会にて、うつ病の勉強もしています。心臓病は高齢者に多いため、老年病専門医の資格も早い段階でとっていましたので、アンチ・エイジング医学に入りやすかったのかもしれません。」と院長。60歳をすぎてなおこの向学心を持つのはすばらしい。

日常生活習慣を改善し、食生活を見直し、運動をし、よい睡眠をとることは、健康を維持するための最良の方法である。現場の一線で患者さんに接しながら、いろいろな健康上のアドバイスをする上で、アンチ・エイジング医学の知識は大変役に立つだろう。

また、病気になる前に自分の健康をより高め、高齢になっても健康で自分のやりたいことを続けることができるように、元気、体力、を維持する方法も実体験があればこそ説得力がある。そのためには、病気になる前の未病の状態で、病気の種を摘み、更に健康になっていくための知識と実践が必要で少人数の教室を開いている(写真)。三浦雄一郎が80歳でエベレスト登頂に成功したことは、アンチ・エイジング医学のサポートが大きい。

2008年11月から始めたアンチ・エイジング・ドックは1年間で約30名の受診があり、遠くは釧路や富良野からも受診者があり、関心が高い。ドックの結果をもとに、生活指導、サプリメント、ホルモン補充などのアンチ・エイジング療法を行ない、体調不良の方々が元気になられていく姿を見て、有効な治療法であると実感。とくに日照時間が少ない北海道ではビタミンDに血中濃度が低く、サプリメントによる効果は大きい。約2年間アンチエイジングドックを行い、約70名の方が受診。栄養の偏り、運動あるいは睡眠不足のために、不健康な状態に陥り、充実した毎日を送れない人が多くおられるということを感じた。アンチエイジング医療を通して、これらの方が元気になっていかれるのを見て、その効果を実感した。

これから

医と食52005年から当院で3日間、北大医学部1年生が早期臨床実習を行なった。開業しながら何を考え、何を目標に医療に従事しているかを、次世代の医療を担う彼らに伝えたいと思い、十数年ぶりに学生に接したという。医学部教育や卒後研修は、今が過渡期だと思われるが、良い臨床医が育つような教育体制が早く確立されることを願っている。

日本抗加齢医学会は最近学術的な面に滑りがちであるが、臨床医の集まりである臨床部会の幹事役としても活躍している。2012年には然別湖畔で臨床部会を開催。全国からアンチエイジング医療を実践する43名が集まり1泊2日の集会で熱い議論を交わした。健康寿命を延ばすということは勿論だが、半健康人が活力ある健康をとり戻すためにも、アンチエイジング医療は有用と考え、十勝に新しい医学であるアンチ・エイジング医療の種を蒔き、新しい風を吹き込みたいと意気込む。

最近海外で「sustainability」という言葉をよく目にする。温室効果ガス問題を契機に、「環境、社会、経済の3つの視点からこの世の中を持続可能にし、次世代に引き継ぐ」ことが市民レベルでも真剣に考えられているようだ。食については、有機栽培で作られた作物(「organic」)や放牧で育てられた牛肉や鶏肉を摂る、遺伝子組み換え作物は避ける、食物アレルギー(即時型および遅延型)の回避、などを意識している。

満岡医師は究極の予防医学としてアンチエイジング・ドックおよび医療を始めて11年目になる。忙しい現代社会ではできあいの食事で間に合わせることが多く、あらゆる世代で栄養不足が指摘されている。体調不良が病気のためではなく、栄養不足によることも少なくない。不足している栄養素を医学的に調べ、サプリで補うことで、体調不良も改善していくことを実感している。地域包括診療や在宅医療が進められる中、期待したい。

People’s physician:
Dr.Takao Mitsuoka, expert cardiologist in Obihiro, Hokkaido

Dr. Takao Mitsuoka was born in Isahaya, Nagasaki Prefecture in 1948. He graduated the Hokkaido University, and returned to Nagasaki University to be a cardiovascular physician. He studied from Professor Sutton, Westminster Hospital, London University and Dr. Dreyfus, Thomas Jefferson Medical University. After returning to Japan, he moved to a small town hospital in Obihiro, After establishment an arrhythmia therapy center in East area Hokkaido, He opened a clinic to practice integrated medicine from acute disease to home medicine. He succeeded to include anti-aging dock for healthy longevy. He is also an essayist. and his warm character is beloved by residents. Clinical & Functional Nutriology 2016; 8(6) : 328-32.

 

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